日本刀が出現するのは平安後期以降ですが、遺跡からの出土や古事記の記述から、古墳時代にはすでに刀剣類が作られていたことはわかっています。
日本刀出現前(古墳〜奈良時代)の刀剣
草那芸之大

刀剣史において江戸時代幕末といえばやはり新々刀の出現でしょう。新々刀とは安永前期より明治維新までの刀のことで、新刀とは区別されます。
安永(1772年から1781年)前期、出羽の国から江戸に水心子正秀という、後に新々刀の祖と呼ばれる刀鍛冶がやってきます。正秀は鎌倉時代・南北朝時代の実用用に特化した刀剣の復活を唱えました。
そして飢饉や失政などにより武家の衰退が著しいこの時代、人々は変革の必要性を感じており、それに呼応する鍛冶も大勢いました。
正秀は各地の鍛冶と交流し、弟子を育て、復古の為の鍛冶研究に励むのです。正秀の弟子は全国各地に散り、数々の名刀を残すことになります。
この時代のほぼ全ての刀工は、復古を目的とした正秀の教えの影響を受けているので、この時代作られた日本刀全般を新々刀と呼称するのです。