明治時代〜昭和時代における日本刀

明治政府は西洋の文化を次々と取入れ近代国家の創設に邁進します。しかしその一環として四民平等を実現する上で、特権を持つ「武士」の存在がどうしても邪魔になります。

 

そこで

 

  • 明治6年(1873年)敵討禁止令で武士階級のみに許可されていた仇討ちを禁じる。
  • 明治9年(1876年)廃刀令で日本刀を腰に差し往来することを禁じる。

 

といった対策を講じ武士の階級を平民同然にしてしまいます。

 

武士がいなくなったことの日本刀文化への影響は大きく、まず刀の需要はほとんどなくなり刀鍛冶の多くは職を失いました。そして追い打ちをかけるように名刀の海外流出、欧米列強に習ったサーベルの採用などがあり日本刀の伝統は滅ぶ直前までいったのです。

 

日本刀の復権

一時は滅ぶと思われた日本刀ですが、西南戦争や日露戦争における白兵戦で日本刀の有用性が評価され、「軍刀」として復権を遂げました。兵器が重火器一色になり実戦における有用性がほぼなくなっても、将校准士官の軍装として軍刀が採用されています。

 

昭和以降に作られた軍刀は「昭和刀」「昭和新刀」「新村田刀」「新日本刀」などとも呼ばれます。軍刀および昭和刀の切れ味については【軍刀(昭和刀)の斬れ味はどんなもんだった?】をご参照ください。